世田谷区のグルテンフリーのお店・米粉パン・お土産
東京都世田谷区でグルテンフリーのお店を探している人へ。お店で食べる・持ち帰るときのポイントと、東京都世田谷区のオープンデータで見つかる地元の食の店やまちの情報を紹介します。
703スポット5オープンデータ
世田谷区でグルテンフリーのごはん・カフェ
世田谷区でお店で食べられるグルテンフリーのお店は、まだ投稿がありません。知っているお店があれば教えてください。
お店で食べるときの3つのポイント
- 予約のときに伝える:グルテンフリーにしたいこと、どのくらい厳しく避けたいか(少量も不可か)を先に伝えると、対応できるかを確かめてもらえます。
- 調味料にも注意:しょうゆ・ソース・カレールー・揚げ物の衣などにも小麦が使われていることがあります。
- 同じ調理場で作っているか:揚げ油や調理器具を小麦の料理と分けているかで、混入の心配が変わります。
世田谷区でグルテンフリーのパン・スイーツ・お土産
世田谷区で持ち帰り・お土産にできるグルテンフリーのお店は、まだ投稿がありません。知っているお店があれば教えてください。
持ち帰り・お土産を選ぶときの3つのポイント
- 原材料の表示を見る:小麦はアレルギー表示が義務の原材料です。袋や値札の表示、お店の案内を確かめましょう。
- 米粉パンでも確認を:米粉のパンでも、ふくらませるために小麦のグルテンを加えたものがあります。
- 専用の工房か:小麦を使わない専用の工房・工場なら、ほかの商品からの混入の心配が少なくなります。
世田谷区のオープンデータで見つける、地元の食とまちの情報
東京都世田谷区が公開しているオープンデータから、食の店・直売所・観光施設・相談先などを地図にまとめました。お店めぐりやお土産探しの寄り道に。
地元の食の店・直売所飲食店・パンや菓子の製造所・農産物直売所・道の駅・特産品など
- 世田谷美術館自然と人に馴染む公園美術館の理想形;砧公園の中にある世田谷美術館は、1986年にオープン。その立地ゆえに、館内の至るところから緑が見えるリラックス空間の中で、世田谷区ゆかりの芸術家や世界的に有名な芸術家の展覧会などが開かれています。広い展示室はもちろん、レストラン、ミュージアムショップなど施設も充実し、一日ゆっくりと過ごすことができます。;館蔵作品は約1万6千点。国内外の近現代美術の作品を多く有しています。世田谷という芸術家を多く輩出する地域性を生かし、また在住作家の作品調査や研究、収集活動を通じて、それらの作品なども紹介しています。;そして、忘れてはならないもう一つの見どころといえば、その建築です。設計を担当したのは、日本を代表する現代建築家の一人、内井昭蔵氏。氏の基本理念“健康な建築”に基づき、人にも自然にもしっくり馴染み、訪れる人に公園と美術館の垣根を飛び越えさせてくれます。東京都世田谷区砧公園1-2
- 等々力渓谷・等々力渓谷公園太古から人の通う渓谷を抜けていく風;23区内唯一の渓谷。渓谷への降り口は、赤い「ゴルフ橋」が目印です。大河多摩川の浸食で作られた崖の連なり「国分寺崖線」のその南端を、さらに谷沢川が削り、鬱蒼と樹林に囲まれた渓谷が形づくられました。崖面からは古墳時代末期の横穴墓が複数見つかっており、人骨や副葬品が出ました。等々力不動尊のそばには、古くからの修行の場「不動の瀧」があり、その“滝音がトドロク”が、等々力の地名になった等、諸説あります。この地形が、様々な時代の人を引き寄せてきたのです。東京都世田谷区等々力1-22、等々力2-37~38■面積:30210.44平方メートル■設備:散策路、横穴古墳
- 本多劇場小劇場のある街 下北沢の顔といえば;“演劇の街・下北沢”を生み出した立役者といえば、『本多劇場』をはじめ下北沢に7館の劇場を持つ本多劇場グループです。劇場主の本多一夫さんは、新東宝ニューフェイスの第4期として俳優デビューするも、その後映画会社が倒産。戦災を逃れた下北沢で小さなスナックを始め、1981年に『ザ・スズナリ』という小劇場をオープンしました。翌年には客席数386でグループ内では最も規模の大きい、本多劇場が完成。ちなみに、ザ・スズナリは、本多劇場の稽古場にする目的で改造されたもの。1階には小さな飲食店も入り、最もシモキタらしい風景を見せています。現在では本多劇場から多くの名役者を輩出するほどの劇場へと成長。どの劇場も堅苦しさはなく、気軽に立ち寄れる雰囲気です。東京都世田谷区北沢2-10-15
- 上祖師谷パンダ公園東京都世田谷区上祖師谷3-4-7
出典:東京都世田谷区「観光施設一覧」(CC BY)、東京都世田谷区「都市公園・都立公園一覧」(CC BY)を加工して作成
子どもの食・まちの見どころ学校給食・子ども食堂・観光施設・商店街など
- 公益財団法人 大宅壮一文庫世界でも類例のない雑誌図書館です;独特の社会評論や人物評論で、長きにわたりマスコミ界で活躍した大宅壮一氏。死後、20万冊もの蔵書と「索引カード」をもとに1971年に設立されました。明治時代から現在まで、1万種類78万冊の雑誌を所蔵。雑誌原本を閲覧・複写できます。大宅壮一在世中から現在まで、100年前の主要な所蔵雑誌から必要な記事を瞬時に探すために「雑誌記事索引」を作っています。雑誌記事索引データベース「Web OYA-bunko」は、海外でも利用され、教育機関、公立図書館のほか、個人・法人の方もご利用できます。利用契約(有料)が必要ですが、無料のトライアルサービスも行っています。まずは大宅壮一文庫まで足を運んでみてください。古い雑誌をめくれば、懐かしい出来事や思い出が、新しい「雑誌記事索引」からは新人アイドルの情報や、うわさの健康法・名医の最新治療や、新世代のスポーツ選手などが検索できます。東京都世田谷区八幡山3-10-20
- 東京農業大学「食と農」の博物館今も生まれ続ける食と農の物語;世田谷通りを挟んだ東京農業大学の向かい、けやき広場に建つ四角い建物。;明治24年、榎本武揚が徳川育英会育英黌「農業科」を設立、そこから日本初の私立農学校「東京農学校」へと発展、現東京農業大学の前身となりました。125年を超える歴史を誇る農大を「まるごと」知っていただくための情報発信基地としての博物館です。“実学主義”を掲げる大学の過去の実績、現在の動向、目指す未来を是非、体験して下さい。隣接する「バイオリウム」ではマダガスカルを中心とした珍しい動植物も見学できます。東京都世田谷区上用賀2-4-28
- 宮本三郎記念美術館(世田谷美術館分館)宮本三郎の作品と様々なイベントが楽しめる気軽な美術館;自由が丘駅より徒歩7分の場所にある宮本三郎記念美術館。こちらは画家・宮本三郎氏がアトリエを持ち、長きにわたり制作の拠点とした地に、2004年4月に開館した美術館です。遺族から寄贈された膨大なデッサンや作品郡を展示しています。年数回の企画展では、氏の作品をさまざまな角度から楽しめます。また、1階にある講座室では、講演会やワークショップなど、様々なイベントも行われています。東京都世田谷区奥沢5-38-13■障害者用設備:エレベーターあり、車いす用トイレあり、車いす用駐車場あり
- 向井潤吉アトリエ館(世田谷美術館分館)古民家の部材をつかった木のぬくもりのある空間で作品を鑑賞;洋画家・向井潤吉がアトリエ兼自宅にしていた建物。日本各地の草屋根の民家を取材し、描き続けた向井潤吉の作品が展示されています。建物は、古民家の部材が使われ、雑木の繁る緑豊かな庭を眺めながらゆっくりとした時間を過ごしていただけます。東京都世田谷区弦巻2-5-1
- 世田谷文学館文学を体験する空間;世田谷文学館は、1995年に開館して以来、文学を軸に、マンガ、映画、美術、デザイン、音楽など、近接する諸分野も視野に入れて、ジャンル横断的に特色ある企画展示を開催してきました。また、マーケットや出張展示など、地域と連係しながら様々な活動も展開しています。;「世田谷固有の文学風土を保存・継承し、まちづくりの活性化に寄与することをめざす文学館」、「区民の文化交流の場と機会をつくりだし、新たな地域文化創造の拠点をめざす文学館」を基本理念として、文学の魅力をお伝えしています。東京都世田谷区南烏山1-10-10
- 清川泰次記念ギャラリー(世田谷美術館分館)作家の息吹を感じられるアトリエと区民ギャラリー;1961年竣工の建築とは思えぬ、コンクリート打ちっぱなしのモダンな四面体の空間。こちらは、亡くなる2000年まで、洋画家・立体作家として精力的に制作活動に打ち込んできた清川泰次氏の旧アトリエです。自宅兼アトリエであった同館は、現在、清川氏の残した作品を飾るギャラリーとして一般公開されています。展示内容は年2~3回のペースで変わりますが、絵画作品のほかにも、清川氏が慶應義塾大学在学中にライカなどで撮りためていた写真作品を紹介することも。それらの写真は、昭和14年~20年の日本の空気感を伝える資料としても、大変価値が高いと評判です。また建物の一部は区民ギャラリーとして貸し出され、週替りで多くの区民が創作活動の発表の場として利用できる。東京都世田谷区成城2-22-17【障害者用設備】車いす用トイレあり
- 長谷川町子美術館マンガのなかの世田谷区民「サザエさん」;田園都市線の「桜新町」駅から続く商店街では、このサザエさんの姿をあちこちで見かけます。サザエさん通りの商店街の先に、長谷川町子美術館があります。昭和21年から新聞に連載、戦後の日本の平凡な家庭を見事に描いた漫画「サザエさん」。作者の長谷川町子は、日本で最初の女性漫画家といわれています。美術館では、この地に40年住み、描き続けた漫画の原画や、一方で収集してきた美術品を展示。シャガールや東山魁夷、平山郁夫の作品、「サザエさん」や「いじわるばあさん」といった懐かしい漫画たちが待っています。東京都世田谷区桜新町1-30-6
- 賀川豊彦記念松沢資料館"愛と協同”に生きた、賀川豊彦の足跡を伝える・・・;上北沢駅からすぐ、コンクリート造の端正な建物は、社会の底辺で苦しむ人々の救済に尽力した賀川豊彦の記憶を留めた資料館になっています。彼はまた、キリスト教社会運動家としての一面に加え、ベストセラーとなった小説『死線を越えて』の著者としても有名です。この地との出会いは、当地の村の人が、当時有名だった賀川豊彦を迎えることで村の活性化を願ったという縁からだとか。資料館には昭和6年造の礼拝堂が復元され、中庭「光の庭」の白く輝く空間の美しさはたとえ様もありません。東京都世田谷区上北沢3-8-19
- 教育センタープラネタリウム世界最高クラス1億4000万個が織りなす宇宙;プラネタリウムでは、18等星を含む、世界最高クラス1億4000万個の星々を投影することで、より自然で美しい星空を再現し、様々な天体現象や宇宙の映像をドーム全体に映し出します。投影は土・日・祝日、学校長期休業期間(第3日曜日および12月28日~1月4日を除く)に、幼児から小学校低学年を対象とする子ども向けの投影「ちびっこタイム(午前11時~)」と「一般投影(午後1時30分~、午後3時30分~)」を行っています。その他にも、星空CDコンサート、大人のための星空散歩、天文講座、天体観望会、プラネタリウムコンサートなど、様々なイベントを行っています。詳しくはホームページをご覧ください。東京都世田谷区弦巻3-16-8世田谷区立教育センター
- 世田谷代官屋敷世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以降、彦根藩世田谷領20か村の代官を世襲した大場家の役宅で、大場代官屋敷とも呼ばれています。大名領の代官屋敷としては都内唯一の存在であり、昭和27年11月3日「都史跡」に指定されました。同時に同家所蔵の古文書は一括して「都重宝(現在都指定有形文化財)」に指定されています。さらに、現存する大場家住宅主家及び表門の2棟が、近世中期の代表的上層民家として、よくその旧態を保存し、貴重な建造物であるとの理由で、昭和53年1月21日、住宅建造物としては都内で初めての国の「重要文化財」に指定されています。東京都世田谷区世田谷1-29-18ボロ市通りの世田谷代官屋敷世田谷区を代表する文化財である「大場家住宅」の紹介動画もご覧ください。;https://www.youtube.com/watch?v=NPJoCKpQGyQ?gl=JP&hl=ja
- 平和資料館(せたがや未来の平和館)世田谷区では、大きな犠牲と悲劇を生んだ太平洋戦争の体験や記憶を後世に伝えるとともに、戦争の悲惨さと平和の尊さを知っていただくため、平和資料館を設置・運営しています。平和資料館では年間を通じた常設展の外、「企画展」・「地域巡回展」や「平和映画祭」を実施しています。また、ライブラリーでは太平洋戦争に関する書籍やビデオ等を閲覧、視聴できます。(一部貸出有り)東京都世田谷区池尻1-5-27世田谷公園内
- 岡本公園民家園お茶を飲んだり伝統行事を体験したり;丸子川(次大夫掘)沿い、田園と住宅が交じり合う風景の中を歩けば、自然林をそのまま生かした岡本公園に到着。その中にある茅葺き屋根の家は、瀬田の旧長崎家の主屋で、江戸時代後期に建てられたものです。ここは岡本公園民家園と呼ばれ、典型的な農家のたたずまいが再現されています。土間から茶の間に上がると、囲炉裏に火が焚かれていて、そこでお茶を飲みながら、のんびりと過ごすこともできます。かつての武蔵野の雑木林に抱かれ、自然の恵みを享受した農村の暮らしに思いを馳せます。また、ひなまつりや七夕などの四季折々の行事も行われるので、季節と伝統を感じに訪れてみてはいかがでしょう。東京都世田谷区岡本2-19-1■駐車場:岡本公園駐車場を利用できます 収容台数12台 無料
- 次大夫堀公園民家園懐かしい世田谷の農村風景の再現;次大夫堀公園の一画にある民家園では、名主屋敷、民家、表門などを復原し、公園内の次大夫堀や水田とあわせて、江戸時代後期から明治時代初期にかけての農村風景を再現しています。主屋の囲炉裏には毎日火がたかれ、家の中や軒下には民具類も置かれています。主屋内に自由に入ることができ、民具などに触れることができます。また、農村に伝わる行事等も行っており、昔ながらの生活や風習を体験することができます。東京都世田谷区喜多見5-27-14■駐車場:次大夫堀公園駐車場を利用できます。収容台数33台 有料(30分100円)
- 旧清水家住宅書院明治43~44年ごろ、清水家屋敷内の離れとして建築されたと言われています。明治期の近代和風建築として区内では貴重な建造物であり、 世田谷区登録有形文化財に登録されています。東京都世田谷区玉川1-16-1
- 世田谷区立郷土資料館世田谷区の歴史を知るならまずはココ;世田谷の歴史に触れたいのなら『世田谷区立郷土資料館』がおすすめ。原始・古代から現代に至るまでの世田谷の歴史について、出土品や古文書、民俗資料、再現ジオラマなどで、わかりやすく正確な情報を得ることができます。区政30周年事業として昭和39年に開館し、最初の公立地域博物館でもあります。 ビデオブースでの映像展示や図書閲覧コーナーもあるので、調べ物の際にも重宝しそう。ボロ市や玉電など、身近なテーマを探ってみるのもいいでしょう。常設展の他、企画展・歴史講座・野外歴史教室などのイベントも多く開催しているので、そちらもお見逃しなく!東京都世田谷区世田谷1-29-18
- 齋田記念館下北沢でかつて栄えた茶栽培の歴史を知る;その昔、下北沢に茶畑が広がっていたのをご存知でしょうか?環状7号線沿いに建つ『齋田記念館』は、幕末から明治にかけて茶業に深く関わってきた齋田家の史料を所蔵しています。主な所蔵・展示品は、茶関係の古文書、齋田家文人の書跡、典籍、絵画など。さらに齋田家住宅は、世田谷区の有形文化財に指定されています。記念館前の石畳脇には歴史を物語る老茶木が今も残されており、当時のようすが偲ばれます。東京都世田谷区代田3-23-35
- 禅文化歴史博物館建築美も見逃せない大学内にある禅の博物館;『駒澤大学』の構内にある禅の文化と歴史をテーマとした博物館は、一般にも公開されています。もともとは図書館として、ライト風建築の第一人者である菅原榮蔵氏が設計し、昭和3年に完成したもの。ステンドグラスや白いテラコッタなどの見事な装飾も、注目したい部分です。特に玄関タイルは、帝国ホテルライト館のギャラリー床と同じ意匠。東京都世田谷区駒沢1-23-1
- 五島美術館(ごとうびじゅつかん)五島慶太氏が蒐集した名品の数々と、美しい庭園は必見;五島美術館は、東急電鉄の基礎を築いた元会長、五島慶太氏の邸宅の敷地の一部。この場所は、さらにさかのぼると、明治期の政治家、田健治郎氏が別荘、後に邸宅として使っていました。豊かな緑に囲まれたこの一帯は、当時多くの名士たちの避暑地でもあったのです。五島氏が蒐集した、日本と東洋の古美術が多数収蔵されており、国宝5件、重要文化財50件を含む約5000件の美術品は、絵画や書跡、陶磁、茶道具、刀剣など多岐にわたっています。中でも、国宝である源氏物語絵巻と紫式部日記絵巻は、それぞれ毎年春・秋に期間限定で公開され、多くの人の目を楽しませています。東京都世田谷区上野毛3-9-25■お問い合わせ(展覧会のご案内):03-5777-8600(ハローダイヤル)/03-3703-0661(テープ案内)
- 世田谷文化生活情報センター(キャロットタワー内)芸術と暮らしを結ぶ創造拠点;三軒茶屋駅前のランドマーク、キャロットタワーの中にあり、『生活工房』、『世田谷パブリックシアター』、『音楽事業部』の3部門から構成された施設です。;区民の自主的な地域活動の支援とともに、優れた文化・芸術を区民に提供することをめざしています。;『生活工房』は、「暮らしのデザイン」をテーマにして、幼児から大人までの幅広い世代が、暮らしに豊かさを感じられるデザインを共に楽しみ、考え、学び、つくる機会として「展覧会」「ワークショップ・セミナー」「地域と市民活動の支援」などの事業を展開しています。セミナールーム等の施設の貸し出しも行っています。;『世田谷パブリックシアター』は、現代演劇と舞踊を中心とする専門的な作品創造・上演活動と、市民の自由な創作や参加体験活動を通し、新しい舞台芸術の可能性を探る劇場です。2002年より狂言師・野村萬斎が芸術監督を務めています。主劇場・世田谷パブリックシアターと小劇場・シアタートラムの2つの劇場のほか、稽古場や作業場、音響スタジオなど「舞台作品創造」のためのさまざまなスペースが用意されています。こうした施設を利用して、市民の生活と文化・芸術をつなぐという大きな目的を実現するために、1997年の開場当初より様々な「作品創造・上演」と「普及啓発・人材養成」のプログラムを展開してきました。;「せたおん」の愛称をもつ『音楽事業部』は、多くの方々に身近な地域で、様々なジャンルの音楽に親しんでいただくために、発足しました。「せたがやジュニアオーケストラ」、「Let's Sing ゴスペル!」「せたがやバンドバトル」など、池辺晋一郎音楽監督、宮川彬良スペシャル・プロデューサーのもと、世田谷の特色を生かし、より活力のある地域づくりをめざして、活動しています。東京都世田谷区太子堂4-1-1キャロットタワー内
- 常盤塚住宅街の一角の、塀と樹林に囲まれた中にある石塚。これは、名君といわれた7代目世田谷城主・吉良頼康の寵愛を受けた側室・常盤の墓と伝えられています。以前、この塚とほこらは荒れ果てていましたが、地元の有志や世田谷区誌研究会が中心となって「常盤塚顕彰協賛会」を結成し、昭和58年1月に今の塚に再建されました。石碑の前には、鷺草にまつわる常盤姫の伝説と由来の碑がたっています。吉良氏の重臣で奥沢城主大平氏の愛娘常盤姫は、吉良頼康に望まれ側室となり、子を授かりました。しかし、これを妬んだ他の側室達にいわれなき不義を言い立てられ、城から逃れるも、上馬の野で討たれました。常盤の愛鷺が奥沢城に文を運ぶ途中、落ちた地からさぎ草が咲いたといいます。東京都世田谷区上馬5-30-19
- 野毛大塚古墳大首長の古墳にまつわる言い伝え;玉川野毛町公園内にある野毛大塚古墳は、野毛古墳群の中心となる五世紀初頭に築かれた大型の古墳です。真上から見ると帆立貝の形をしていて、この形の古墳としては、「日本最大級!」(全長82m)です。江戸時代後期の旅行ガイドブックともいえる「新編武蔵風土記稿」に「東大塚(あずまおおつか)」として紹介され、当時から観光名所として知られていました。明治時代から昭和初期にかけては、頂上に祠が祀られ、「吾妻神社」として知られていました。その後、戦前には「等々力ゴルフリンクス」となり、古墳の前方部は打ちっ放しのティーグラウンドとなっていたようです。等々力渓谷入口の「ゴルフ橋」の名前はここからきています。東京都世田谷区野毛1-25-1
- 御岳山古墳興味深い出土品がいくつも発見;5世紀中ごろに造られた、径42m、高さ約7mの帆立貝形古墳、または作り出し付き円墳と推定されています。大正時代に地元の住民によって「七鈴鏡」が発見。また、戦後間もなく主体部のみが発掘調査され、鉄三角板鋲留短甲などが出土しました。東京都世田谷区等々力1-18-10
- 林芙美子旧居跡円泉寺の角に、この近くにかつて『放浪記』『浮雲』などの代表作で知られる作家・林芙美子の住まいがあったことを示す標示板があります。東京都世田谷区太子堂3-29
- 宝性寺室町時代の開創。年間を通じて豊かな緑に包まれ、自然と歴史を感じさせるたたずまいにある真言宗智山派の寺院。東京都世田谷区船橋4-39-32
- 北澤八幡神社豪華さを称えられた北澤八幡神社;室町中期の文明年間(1469~87年)に、世田谷北辺の守護神として、当時世田谷を所領していた吉良家によって勧請されたと伝えられています。その豪華さは、“世田谷七澤八社随一正八幡宮”と称えられ、人々の尊崇を集めてきました。秋の例大祭には、20基の神輿が境内に繰り込み今年は鎮座550年記念で宮神輿が出る年で圧巻。冬の晴れた日には富士山が見えます。東京都世田谷区代沢3-25-3
- 福昌寺経堂の名前の由来とも言われる寺;経堂という地名の由来には3つの説があります。ひとつ目は、京風の堂があったので、京堂と呼んだという説。2つ目は、経本を納めた石室の上に堂を築いたからという説。そして3つ目は、福昌寺の基・松原土佐守弥右衛門が、福昌寺建立に先立って医学書を納める堂を建て、それを経本を納める堂と村人達が勘違いしたという説です。いずれにしても、この街の名前に深く関わる福昌寺は、400年の歴史を持つ経堂のシンボル的な存在なのです。東京都世田谷区経堂1-22-1
- 駒繫神社頼朝が愛馬をぎ武運を祈った神社;蛇崩川緑道沿い、大きな樹木が包み込むようにしてある小高い神社の森があります。源頼朝が奥州の藤原泰衡の討伐(1189年)に向かう途中この地を通過するにあたり、むかし祖先の源義家とその父頼義が奥州征伐(前九年の役)へ赴く際、この神社で武運を祈ったことを回想して、自らも戦勝祈願をしたとの伝説があります。その時愛馬を境内の松の木に繫いだことが社名の由来となっています。大国主命を祀るので、昔は子の神と親しまれていました。また、近隣に芦毛塚もあり、頼朝の愛馬伝説はこの辺りの「下馬」という地名へと繫がっていきます。東京都世田谷区下馬4-27-26
- 浄眞寺珂碩上人の願いこもった9体の仏様;大きく枝を広げるイチョウの古木が悠久の時の流れを想わせる淨眞寺の境内です。世田谷城にまつわる「さぎ草悲話」。その主人公常盤姫の実家・大平氏の居館、奥沢城がここにありました。江戸時代初め、草深い奥沢村のその城跡に、立派な伽藍の寺院が建ちました。開基は珂碩(かせき)上人という高僧です。上人は九品仏像造立を一生の念願とし、弟子と共に51歳の時ついに彫り上げました。そして9体の大切な阿弥陀如来像を3体ずつ安置する、三仏堂などの造営が完成し、江戸庶民に「九品仏」と親しまれる大寺になりました。保存する建造物や仏像など貴重な文化財は数多く、また都無形民俗文化財である3年に一度の「二十五菩薩来迎会(お面かぶり)」は有名です。東京都世田谷区奥沢7-41-3
- 松陰神社安政の大獄でこの世を去った吉田松陰。千住の回向院に埋葬されていましたが、門弟の高杉晋作、伊藤博文らが毛利家抱屋敷のあったこの地に改葬しました。現在も境内の墓所には花が絶えません。東京都世田谷区若林4-35-1
- 烏山寺町大正末期、ススキの原に出現した小京都;北烏山2丁目から6丁目にかけて、寺町通りを中心に「烏山寺町」と言われる一帯があります。見渡すと、あちこちにお寺の屋根や塀のある、世田谷の小京都とでも呼びたい風景です。 関東大震災(大正12年)を契機として、当時の東京市内にあった寺院が、都市計画事業に伴う移転を余儀なくされました。その受入先のひとつになったのが、当時、武蔵野の雑木林などが広がっていた北多摩郡千歳村(現在の烏山地域を含む一帯)。浅草や築地、麻布辺りの寺院が、大正末期から昭和初期にかけてこの地に移ってきたことで、各寺の古い由緒とともに烏山寺町が形成されたのです。東京都世田谷区北烏山2丁目~6丁目
- 世田谷八幡宮源義家が戦勝を祝し勧した由緒を持つ八幡宮。境内には奉納相撲に使う土俵があります。東京都世田谷区宮坂1-26-3
- 喜多見不動健康祈願 星祭りで厄除け;毎年冬至の日に星祭りが行われることで有名な『喜多見不動』は、不動明王を本尊とするお寺です。この尊像は、明治の初めに起きた多摩川大洪水の時、喜多見河原に流れ着いたものを、当時の住民が成田山新勝寺で入魂し、お堂に安置したと伝えられています。星祭りとは、故人の生まれた年に当たる星と、その年に当たる星を供養し、福を招き災いを除くという厄除けの祭り。かつては、庶民に広く伝わった行事ですが、最近では珍しくなりました。ここでは、カボチャに“真田幸村”と書き、隣に自分の名前と生年月日も書き添えて護摩壇に供え、近くの川へ流します。境内には湧き水による滝があり、滝不動も祀られています。東京都世田谷区成城4-2-8
- 耕雲寺美しいお寺で坐禅を体験してみる;『耕雲寺』は、300年近い歴史を持つ曹洞宗のお寺です。本堂を花や木が囲み、四季の移ろいを感じることができます。また、この寺では座禅会を行っており、初心者でも安心して参加できるように座禅指導をしています。曹洞宗の座禅は“黙照禅”といい、雑念が浮かんできたら右から左へ流して、何も考えずにひたすら坐るというもの。ストレスの多い毎日…。たまには日ごろの雑念を払い、無心になる体験をしてみてはいかがでしょうか?東京都世田谷区砧7-12-22坐禅会は毎週土曜日開催、19時~21時(初心者は初回は18時半までに)、一回400円
- 菅原神社“せたがや百景”に選らばれた見事な景観と荘厳な雰囲気;松原の閑静な住宅街に静かにたたずむ菅原神社は、朱塗りの社殿が荘厳な趣。寛文五年(1665年)二月吉日、寺子屋を開いていた石井兵助直慶が菅原道真を祀ったのがはじまりと、境内に現存する石碑・勧請札に記されています。以来、学問の神様として広く信仰を集めており、合格祈願の御利益を願って訪れる受験生も多いとか。社殿に向かって右手の奥には江戸時代や明治時代に力試しに使われていた石が現存。それぞれの石には重さや奉納した年や人の名前であろう文字が刻まれており、歴史を感じさせます。毎年9月第4週の土・日曜に行われる『菅原神社例大祭』は、下高井戸最大の祭り。山車の先導で甲州街道から神社前までを練り歩き、たくさんの屋台も出るなど下高井戸の街全体が盛り上がります。東京都世田谷区松原3-20-16
- 多聞院縦2m横3mに及ぶ石造涅槃図;中央道の高架をくぐってすぐにある、真言宗『多聞院』。戦後、新宿駅周辺の副都心計画により1954年に烏山へと移り、寺町へと移転してきた寺院です。境内にある石造涅槃図やお釈迦様の足の裏を彫り込んだ仏足石が有名。東京都世田谷区北烏山4-12-1
- 妙祐寺インド風の本殿が個性的な寺院;インド様式風の建築が寺町の中でも異彩を放つ『妙祐寺』。鎌倉時代後期の創立といわれており、江戸時代初期に中興されたものの、戦災に遭って渋谷より烏山に移転してきたそう。中興の僧、了頓は菅原道真公の末孫のため、本堂正面には道真公の家紋が飾られています。東京都世田谷区北烏山4-16-1
- 幸龍寺心地よい静けさが広がる、由緒正しき寺町;千歳烏山駅から商店街を抜けて歩くと、それまでの住宅地然とした景色が一変します。ここが、“世田谷の小京都”と呼ばれる烏山寺町。1923年の関東大震災から復興するために東京都で大規模な区画整理が実施された際、浅草、築地、麻布などにあった寺院や墓地が烏山へ移転したことをきっかけに、さまざまな宗派の寺院が建ち並ぶ寺町が生まれました。そうした26の寺院のうち『幸龍寺』は、徳川家康がまだ浜松城主だった頃、徳川家の祈願寺として開山した古寺。かろうじて震災を逃れた山門、清正公堂が歴史の片鱗をのぞかせています。東京都世田谷区北烏山5-8-1
- 富士見丘教会しとやかな存在感を放つ登録有形文化財;重厚な木のドアや板張りの床など、しっとりとした雰囲気の『富士見丘教会』。この教会が献党された1936年当時には視界を遮るものがなく、教会から富士山が望めたそう。2003年に国の登録有形文化財に指定されています。東京都世田谷区代沢2-32-2
- 世田谷観音陸海軍特攻隊員の魂が眠るさまざまな願いが込められたお寺;『世田谷観音』は宗派に属さず、「願い事を叶える」祈願寺として親しまれています。ご本尊の聖観世音菩薩の他、不動明王(国重要文化財)、羅漢像(都有形文化財)などが安置されるなか、珍しいのが太平洋戦争での特攻隊員の魂を祀った『特攻観音堂』。陸海軍を弔っているのは都内でもここだけだそう。境内ではさまざまな仏様や観音様をお参りすることができ、心和やかな時間を過ごせます。東京都世田谷区下馬4-9-4
- 八幡山浄光院 森巖寺昔から多くの人が訪れた森巌寺;森巖寺は閑静な代沢の住宅地の中にあり、淡島の灸の森巖寺として親しまれています。慶長13年(1608年)に結城中納言秀康の位牌所として建立され、秀康の法名から森巖寺と名付けられました。境内には樹齢400年以上の立派な一対のイチョウの木が立っており、右奥には徳川家の紋所三葉葵が入った門、その向こうに本堂があります。境内にある淡島神社は、持病の腰痛に悩んでいた清誉上人に、夢の中でお灸の特効を教えてくれた紀州の淡島様を祀っています。森巖寺のお灸は脚気、リューマチ、神経痛に効くと言われ、昔から多くの人々が訪れていました。新鮮な青木の青葉を使う灸は、熱いことでも有名で、当時の若者達は我慢強さを自慢し合ったそうです。東京都世田谷区代沢3-27-1
- 目青不動尊(教学院)縁結びのご利益あり。東都五眼不動尊;創立は応長元年(1311年)、江戸城内の紅葉山の位置にありました。その後、太田道灌の江戸築城により、麹町貝塚に移されたといいます。天上界と地上界の間にたなびく青い雲の色に基づく不動尊であることから、天と地を連絡する不動尊という意味で、縁結びのご利益ありと女性に人気。不動堂には常に燈明が奉られ、本尊のお厨子と御前立不動尊を照らし出しています。東京都世田谷区太子堂4-15-1
- 奥澤神社疫病を鎮めて見守るわらの大蛇;神社の鳥居に巻きついたその姿に驚きますが、これは奥沢を守る大蛇。江戸の頃、疫病が流行った時、村の名主の夢に八幡様が現れて「わらで大蛇を作ってかつぎ、村中を練り回れば流行り病は止む」、と告げました。さっそく言われたとおりにすると疫病はおさまったといいます。以来氏子が技術を伝承し、毎年秋の取入れが済むと新しいわらで大蛇を作ります。お練りが終わると社殿に奉納し、前年のものを鳥居に飾り付けます。毎年9月第2土曜日の例祭に行われるこの厄除け行事「大蛇のお練り」は、都無形民俗文化財です。東京都世田谷区奥沢5-22-1
- 豪徳寺山門の猫が招いた不思議な縁;赤い首輪の白い猫。豪徳寺が発祥という「招き猫」の由来話を、山門を見つめながら思い起こします。徳川家康に認められ、彦根藩の基盤を固めた井伊家2代直孝が、ある日通りかかった荒れ寺。なぜか門前で猫が手招きします。不思議に思い門内に入ると突如雷鳴が。猫のおかげで直孝は雷雨を避け、そこで住職の法話を聞いたのが縁で寺は井伊家の菩提寺として栄えました。井伊家の墓所には、日本の開国に尽くした大老・井伊直弼が眠っています。仏殿横の招福殿に奉納された大小の招き猫たちが佇む、穏やかな豪徳寺の境内です。東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
- 等々力不動尊不動の瀧に心洗われ四季の花々を愛でる;交通安全、心願成就や学業成就などのご利益があるという等々力不動尊。ここは等々力駅の北側にある満願寺の塔頭で、興教大師様が夢で見た渓谷を見つけ、岩をうがつと瀧が流れ出しました。そこに、役の行者様がお作りになった不動明王を祀り霊場としました。今もこの不動の瀧に打たれる修行者が、各地から集まります。そもそも等々力という地名は、この不動の瀧の流れる音が谷に響き渡り瀧壺に落ち、轟々と轟いていたことからついたといわれています。また、境内にはシャクナゲやアジサイなど四季折々の花が咲き、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られています。東京都世田谷区等々力1-22-47
- 喜多見氷川神社本殿まで続く、神社の森が覆う参道。途中でくぐる石鳥居は、実は区内最古(1654年)。この地域をずっと見守ってきた風格が漂う神社です。写真は節分の日に行われる「鬼問答と大国の舞」。東京都世田谷区喜多見4-26-1
- 称往院蕎麦屋の屋号「○○庵」発祥のお寺;天明飢饉の折り(1782~86)、称往院の末寺であった道光庵の庵主は、社会事業の一環として蕎麦を振る舞いました。その辛味大根の絞り汁を添えた蕎麦は「道光庵 寺号があれば 深大寺」という川柳が詠まれるほど大変評判となり、それ以来、その評判にあやかろうと「庵」のつく屋号を用いる蕎麦屋が多くなりました。現在境内には、まるで蕎麦屋のような繁盛ぶりが修行の妨げになるとして、天明6年(1786)に建立された「蕎麦の境内に入るを許さず」という石碑が残されています。(石碑正面には「円光大師巡礼所十八番」という文字が刻まれています)東京都世田谷区北烏山5-9-1
- 宇佐神社坂の途中にある神社。源頼義の伝説もあり、本殿の裏山は、八幡塚古墳という6世紀頃の豪族の墓といわれています。東京都世田谷区尾山台2-11-3
- 東玉川神社現在の東玉川神社の社殿は、昭和十四年に渋谷の地から移築されたものですが、「新編武蔵國風土記稿」に慶長十年(1605年)徳川二代将軍秀忠の頃と記されており由緒ある建物です。また、向拝の天井板には、「火焔龍神像」(正面座臥)が水墨で描かれており、あたりを祓う髙位尊厳と龍気のすざましさが、火焔となって立ち昇り、邪悪を祓う御姿が参拝者たちに感動を与えております。絵の左下には、弘化二年(1845年)萬遷の作と著されています。(世田谷区教育委員会より登録有形文化財に指定されています)東京都世田谷区東玉川1-32-9
- 妙寿寺震災の爪痕を残す梵鐘と美しい木造3階建ての客殿;寺町界隈では大規模な存在の『妙寿寺』。境内には江戸中期に鋳造され、関東大震災において当時の深川(現在の江東区)で火災に遭ったという梵鐘が今も残されています。猛火に包まれて破損した鐘の生々しい傷跡を目にすれば、当時の災害の大きさがうかがえることでしょう。ちなみに、大正ロマンな雰囲気が漂う木造3階建ての客殿は、明治期の鍋島公爵邸の一部を移転したものです。東京都世田谷区北烏山5-15-1
- キャロットタワーオレンジ色に輝く三茶のシンボルタワー;平成8年に完成したキャロットタワーは、商業施設、公共施設、オフィスビルからなる複合ビル。地上124m、最上階の26階には一般に開放された展望ロビーがあります。展望台以外にも文化施設が充実。演劇やダンスを中心とした舞台劇場である、世田谷パブリックシアターと、シアタートラム、講習会や展示、創作活動に利用できる生活工房などがあります。東京都世田谷区太子堂4-1-1
- 世田谷城阯公園空堀と土塁の起伏は中世の世田谷に城があった証;かつて戦国時代には、現在の豪徳寺を含む丘の上に、土塁に守られた館がありました。室町時代から「世田谷御所」と呼ばれた足利氏一族の名門、吉良氏はここから長く世田谷を治めてきました。いよいよ戦国の世となると、北条氏と姻戚関係を結び、善政を行いましたが北条氏が滅亡すると、その運命を共にしました。今のボロ市の元となる楽市が開かれたのもこの頃。世田谷に伝わる「さぎ草悲話」は、常盤姫と城主頼康をめぐり、この世田谷城を舞台に繰り広げられる物語です。東京都世田谷区豪徳寺2-14-1■面積:3835.72平方メートル■設備:樹林地、遊具、トイレ、ベンチ、案内看板
- 兵庫島公園憩いの地に残るある戦いの記憶;花火大会の開催地でもある憩いの公園に伝わる悲話。南北朝時代の正平13年(1358)、新田義貞の次男、義興とその一行は鎌倉に向かう途中、足利方に通じる者たちの謀略で、多摩川の矢口の渡しから船に乗り込みます。船は底に穴を開けられ、岸からは矢が射かけられました。義興は自害、剛の者と聞こえた由良兵庫助ら従者達も壮絶な最後を遂げました。この兵庫助の遺体が流れ着いたと伝わるのが兵庫島です。「矢口の渡し」については、大田区の矢口とも、もっと上流の稲城市矢野口である等、諸説あります。公園のその名に、思いがけぬ歴史絵巻の一片を垣間見ることができます。東京都世田谷区玉川3-2-1■面積:65729.8平方メートル■設備:池・流れ
- 鷺草園(さぎそうえん)浄真寺の境内にあります。昔、この地域に自生していたといわれる区の花、鷺草は、毎年7月下旬に植え付けを行い、8月中旬まで花を楽しめます。東京都世田谷区奥沢7-41-3■面積:467.16平方メートル■設備:池、流れ
- 二子玉川公園二子玉川駅より徒歩9分と、国分寺崖線のみどりと多摩川の水辺に囲まれた場所に位置している自然豊かな公園です。世田谷区立の公園として初の本格的な日本庭園があり、その一部には登録有形文化財に登録された「旧清水家住宅書院」を復元しています。区民の方々も一緒に植樹した約1400本の苗木が生長する「世田谷いのちの森」や、子どもたちがボール遊びを楽しめる「子ども広場」などもあり、親子連れで楽しめる公園です。日当たりもよく、眺望広場からは丹沢の山々や富士山を望むこともできます。東京都世田谷区玉川1-16-1
- JRA馬事公苑住宅街に馬が暮らすそのいきさつとは?;世田谷の住宅街の真ん中に、馬の歩む馬場や厩舎がある理由とは…。時は昭和15年。帝国競馬協会では、騎手・競走馬養成のための用地を求めていました。一方、玉川村村長は、無秩序な開発が進む前に耕地を一括して整理する画期的な「玉川全円耕地整理事業」を推進。その資金調達に品川用水沿いの5万坪を売りに出しました。一面クヌギ林の寂しいこの土地を買ったのが競馬協会です。現在は、数百本の八重桜、馬場、厩舎がある憩いの公園となっています。東京都世田谷区上用賀2-1-1
- 次大夫堀公園世田谷の農村風景の典型的なイメージと昔ながらの小川を復元したのが次大夫堀公園。公園名は小泉次大夫が昔この地域の用水を確保するために作った堀の名にちなんでつけられました。面積は約36000平方メートルで650メートルの水路を有し、その水路に沿って、当時の古民家や水田(1400平方メートル)が配置されています。水路や池には、コイ・メダカ・アメンボもたくさん生息しており、コサギがきてドジョウをついばむ姿も見られます。また水田では、毎年稲作が行われ、近所の保育園や小学生達による田植えや稲刈りが東京中央農協の協力のもと行われています。また、多摩堤通りをトンネルで横断できるようになっており、パズルトンネル(卵から鳥が生まれてくるパズルです)と呼ばれています。東京都世田谷区喜多見5-27-14
- 都立蘆花恒春園「粕谷ほど好い処はありません」;すがすがしい竹林と雑木林の小道の先を歩いて行くとかやぶき屋根の家があります。明治40年、自然を愛した一人の作家がこの粕谷の地を選び、移り住みました。小説『不如帰』(ほととぎす)の著者で明治~大正期の文豪・徳冨蘆花は亡くなるまでの20年間、この地で晴耕雨読の日々を送りました。著書『みみずのたはごと』に当時の粕谷の様子や土との生活が描かれています。「粕谷ほど好い処はありません」と書いた蘆花は、夫人と共に園内の墓所で永遠の眠りについています。東京都世田谷区粕谷1-20-1■面積:80304.43平方メートル■施設:蘆花記念館、集会場、竹林
- 羽根木公園55本から始まった世田谷の梅の名所;毎年2月に行われる「梅まつり」で知られる、世田谷の梅の名所。昔は六郎次という鍛冶屋が住んでいたので「六郎次山」や、東武鉄道の創業者根津嘉一郎が所有していたので「根津山」などと呼ばれた所です。今でこそ見事な梅林は、昭和42年に当選した区議会議員55人が戦後の荒廃残る公園に植えた、55本が始まりです。今では約650本以上、梅の咲く頃は、陽の当たる斜面に様々な色と香りを楽しませてくれます。公園には子ども達が自己責任で自由に遊べるプレーパークもあり、元気な声でいっぱいです。関連URL:(プレーパークについて(区ホームページ))http://www.city.setagaya.lg.jp/shisetsu/1209/1295/d00014645.html東京都世田谷区代田4-38-52■面積:79650.71平方メートル■設備:テニスコート、野球場、星辰堂、日月庵、プレーパーク、梅丘図書館、授乳室
- 都立砧公園子どもから大人まで一日たっぷりと遊べます;かつてはゴルフ場だったという広大な敷地の砧公園。アスレチック広場やサイクリングコース、軟式野球場や小サッカー場(有料・要予約)、世田谷美術館など、さまざまな施設が集まり、界隈に住む家族連れをはじめ多くの人々が集う公園です。この公園にはバードサンクチュアリ(自然保護地域)もあり、四季折々の野鳥を観察することができます。野鳥たちの自然なかわいらしい姿を見られるかもしれません。また、季節ごとの花々も楽しめますが、やはり見逃せないのは桜の季節。約840本の桜が咲き誇り、中には幹回り3mを超える見事な古木もあります。特に谷戸川沿い一帯の景観が素晴らしく、大勢の人々が花見を楽しんでいます。公園西側をぐるりと囲む約1.75㎞のサイクリングコースも桜散策にぴったりです。東京都世田谷区砧公園1-1駐車料金:1時間まで300円、以降30分ごとに100円
- 都立祖師谷公園川沿いに咲く桜は絶景の美しさ;中央に仙川が流れ、左岸には児童公園や運動場、右岸のなだらかな傾斜地には緑の芝生広場が広がる祖師谷公園。春になると川の両岸にソメイヨシノが咲き誇り、花見客で賑わいを見せる人気の桜スポットでもあります。桜の中には、明治45年に東京市長が米ワシントン市のポトマック公園に贈り、再び苗木となって日本に戻った“里帰り桜”と呼ばれるものもあります(世田谷区管理)。東京都世田谷区上祖師谷3-22■面積:90220.7平方メートル■設備:テニスコート、ゲートボール場■Twitter:@Parkssosigaya
ほか 17件(地図に出ています)
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もしものときの備え・相談先医療機関・薬局・AED・公衆トイレ・避難所など
- エムケイアースビル(世田谷保健所試験検査室)東京都世田谷区世田谷1-11-18エムケイアースビル
- おなが広域用防災倉庫東京都世田谷区世田谷4-14
- 下馬広域用防災倉庫東京都世田谷区下馬2-26
- 小田急上部(代田富士356広場)広域用防災倉庫東京都世田谷区代田3-56
- 桜上水広域用防災倉庫東京都世田谷区桜上水3-17-6
- 羽根木広域用防災倉庫(複合施設)東京都世田谷区代田4-38-52
- 玉川広域用防災倉庫東京都世田谷区玉川1-14-1
- 中町・玉川広域用防災倉庫(複合施設)東京都世田谷区中町4-21-1玉川中体育館棟 昭和55年竣工
- 野毛広域用防災倉庫(複合施設)東京都世田谷区野毛1-25
- 二子玉川公園広域用防災倉庫東京都世田谷区玉川1-16;上野毛2-28一部公園施設を含む
- 大蔵広域用防災倉庫(複合施設)東京都世田谷区大蔵4-6-2
- きたみふれあい広場防災倉庫東京都世田谷区喜多見9-25
- 希望丘広域用防災倉庫(複合施設)東京都世田谷区船橋4-20-1
- 成城広域用防災倉庫東京都世田谷区成城1-4-19
- 粕谷広域用防災倉庫東京都世田谷区粕谷3-1-1
- 烏山広域用防災倉庫東京都世田谷区北烏山2-3
- 中央自動車道高架下広域用防災倉庫東京都世田谷区北烏山4-2先
- 池尻防災施設東京都世田谷区池尻2-3
- 北沢三丁目防災倉庫東京都世田谷区北沢3-9
- 祖師谷三丁目高架下防災倉庫東京都世田谷区祖師谷3-11
- 烏山総合支所防災資材倉庫東京都世田谷区北烏山8-8
- 医療的ケア相談支援センター(複合施設)東京都世田谷区大蔵2-10-18
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まちの施設公共施設・子育て施設など、その自治体が公開している施設の一覧
- 中央図書館東京都世田谷区弦巻3-16-8外国語子供資料のみ(12か国語)ギリシャ語;スウェーデン語;チェコ語;デンマーク語;ルーマニア語;ノルウェー語;ハンガリー語;パンジャーブ語;ベンガル語;グジャラート語;ソマリ語;ウルドゥー語
- 梅丘図書館東京都世田谷区代田4-38-10英語の本は絵本のみ
- 世田谷図書館東京都世田谷区若林4-22-13世田谷合同庁舎1階
- 砧図書館東京都世田谷区祖師谷3-10-4外国語子供資料のみ(8か国語)ドイツ語、トルコ語、クロアチア語、スペイン語、ペルシャ語、ヘブライ語、ハングル語、中国語
- 奥沢図書館東京都世田谷区奥沢3-5-7
- 玉川台図書館東京都世田谷区玉川台1-6-15
- 代田図書館東京都世田谷区代田6-34-13
- 烏山図書館東京都世田谷区南烏山6-2-19
- 下馬図書館東京都世田谷区下馬2-32-1
- 深沢図書館東京都世田谷区深沢4-33-11
- 桜丘図書館東京都世田谷区桜丘5-14-1
- 尾山台図書館東京都世田谷区等々力2-17-14
- 上北沢図書館東京都世田谷区上北沢3-8-9
- 粕谷図書館東京都世田谷区粕谷4-13-6
- 鎌田図書館東京都世田谷区鎌田3-35-1
- 経堂図書館東京都世田谷区宮坂3-1-30
- 世田谷区役所東棟(複合施設)東京都世田谷区世田谷4-21-27改築工事中
- 第2庁舎東京都世田谷区世田谷4-22-35
- 世田谷区役所西棟(複合施設)東京都世田谷区世田谷4-22-33改築工事中
- 世田谷区役所西棟+E4:F4(複合施設)東京都世田谷区世田谷4-22-11ノバビル
- 城山分庁舎東京都世田谷区世田谷4-24-1
- 美松堂ビル東京都世田谷区若林4-31-7
- プレハブ会議室東京都世田谷区世田谷4-19-10
- 世田谷総合支所(複合施設)東京都世田谷区世田谷4-22-33
- 世田谷保健福祉センター(健康づくり課分室)(複合施設)東京都世田谷区若林4-22-13区分所有
- 北沢総合支所(複合施設)東京都世田谷区北沢2-8-18区分所有・一部借上
- 玉川総合支所(複合施設)東京都世田谷区等々力3-4-1
- 砧総合支所(複合施設)東京都世田谷区成城6-2-1
- 成城二丁目事務所棟東京都世田谷区成城2-33-15
- 烏山総合支所(複合施設)東京都世田谷区南烏山6-22-14
- 太子堂出張所(複合施設)東京都世田谷区太子堂2-17-1
- 経堂出張所(複合施設)東京都世田谷区宮坂1-44-29
- 用賀出張所(複合施設)東京都世田谷区用賀2-29-22
- 二子玉川出張所(複合施設)東京都世田谷区玉川4-4-5
- 烏山出張所(複合施設)東京都世田谷区南烏山6-2-19
- 池尻まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区池尻3-27-21
- 太子堂まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区太子堂2-17-1
- 若林まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区若林1-34-2
- 上町まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区世田谷1-23-5
- 経堂まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区宮坂1-44-29
- 下馬まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区下馬4-13-4
- 上馬まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区上馬4-10-17
- 北沢まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区北沢2-8-18区分所有・一部借上
- 梅丘まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区梅丘1-61-16
- 代沢まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区代沢5-1-15
- 新代田まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区羽根木1-6-14
- 松原まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区松原5-43-28複合施設棟 令和4年竣工
- 松沢まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区赤堤5-31-5
- 奥沢まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区奥沢3-15-7
- 九品仏まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区奥沢7-35-4
- 等々力まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区等々力3-4-1
- 上野毛まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区中町2-33-11
- 用賀まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区用賀2-29-22
- 二子玉川まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区玉川4-4-5
- 深沢まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区駒沢4-33-12
- 祖師谷まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区祖師谷4-1-23
- 成城まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区成城6-3-10
- 船橋まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区船橋4-3-2
- 喜多見まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区喜多見5-11-10
- 砧まちづくりセンター(複合施設)東京都世田谷区砧5-8-18
ほか 540件(地図に出ています)
出典:東京都世田谷区「公立図書館情報」(CC BY)、東京都世田谷区「公共施設一覧」(CC BY)、東京都世田谷区「スポーツ施設一覧」(CC BY)、東京都世田谷区「都市公園・都立公園一覧」(CC BY)を加工して作成
このページで使っているオープンデータ
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- 東京都世田谷区「公立図書館情報」ライセンス:CC BY/更新:2026-03-30データのページ
- 東京都世田谷区「公共施設一覧」ライセンス:CC BY/更新:2025-12-12データのページ
- 東京都世田谷区「スポーツ施設一覧」ライセンス:CC BY/更新:2026-03-30データのページ
- 東京都世田谷区「都市公園・都立公園一覧」ライセンス:CC BY/更新:2026-03-30データのページ
上のデータをグルテンフリーマップが加工して作成しています(位置・名前の表記をそろえ、関係する項目だけを表示)。内容は各データの公開時点のものです。